悪夢のJ2降格劇から4ケ月、いよいよ初体験となる未知なる2部リーグ~J2が始まった。
今回は開幕戦となった駒場での水戸ホーリーホックとの試合のお話。
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池田伸康など数名の戦力外選手と、完全移籍要請を断って去って行ったミニラこと中村忠を除けば、福田やペトロ、更に伸二など前年までの主力が全員残留し、レンタルから完全移籍という形で路木と、そしてウルグアイ代表ピクンも残った。
鹿島からは浦和出身の室井市衛と阿部敏行の獲得に成功。とりわけ鹿島でレギュラーを張っておりA代表候補にまで選ばれた阿部の獲得は衝撃的だった。
新監督である斉藤和夫氏には若干の不安を感じたものの、このままJ1に臨んでも上位を狙えるであろう、J2に全く相応しくない贅沢過ぎる選手層の陣容。マスコミ記事も楽に1年でJ1復帰を果たせるであろう楽観的な論評が大半を占めていた。
俺も、長丁場だからある程度は疲れて苦戦する時期もあるだろうが、最終的に秋が終わる頃には、優勝という形でJ1復帰を果たせるものと信じていた。
開幕戦の対戦相手が発表された。
はい?
みと?
ほーりー…何?
前にどっかで聞いたような…
水戸ホーリーホック。
JFLから昇格したばかりの、プロ1年生クラブだった。
それを知った途端、見えない穴ぼこに落ちそうになった。
去年までは、鹿島とか、磐田とか、ヴェルディとか…それが、今年は水戸ですか?いや、水戸には失礼を承知で言うが、当時は「何で水戸なんかと…」というのが最初に感じた率直な感想だったのだ。
だいたい去年まで日本のトップリーグのピッチを駆け回っていた選手が、そして日本のトップリーグのスタジアムで威勢良く叫び飛び跳ね、”日本一”とまで称されていたサポーターが、今年はJFLから上がったばかりのクラブと戦う姿なんて、想像出来なかった。
そう、ここに来て、いよいよJ2の悲惨な現実を断片だが痛感し始めていた。
それでもやるしかないと割り切って、今年も駒場のゲートをくぐった。
!?
目を疑った。愕然とした。
看板が少ない!去年まであった数のスポンサー看板が極端に少ない!!
レッズは自身のスポンサーは前年並みに確保していたが、Jリーグ自体の公式スポンサーは、J2では広告効果が期待出来ないという理由で設置されていなかったのだった。
当時の福田が「看板で距離感を掴むので違和感があった」と話しているように、この変わりようにはサポーターもショックを受けた人が少なくないはず。
…なんだか随分と殺風景なスタジアムになってしまったな。
そんな気持ちを象徴させるように、空はどんよりと曇っている。
と、対戦相手の選手を見れば、レッズでは全く使いものにならず去っていたGK本間が、いつの間にか水戸のゴールを守っていた。
昔、聞いたことあるが何処に行ってしまったのか矢野マイケルが、ピッチを走り回っていた。
もはやこのリーグに三浦カズは居ない。井原正巳もゴン中山も居ない。去年まの有力ライバル選手は何処にも存在しない。居るのは、前にどこかで聞いた選手か、聞いたこともない選手ばかり。寂しい…
試合は正直5点は確実に取って楽勝だと思っていた。ところが、レッズはどうも動きが重く、スムーズな攻撃が出来ない。勝って当然という雰囲気が影響してか、逆に緊張してボールが足に付かない様子で凡ミスを連発していた。
やっと阿部の先制点が決まる。喜ぶ。が、直後に「でも相手は水戸だし…」という変な引け目が脳裏を過ぎった。
ピクンの追加点、喜ぶ。が、また脳裏に…
逆に水戸は失うものは無いと言わんばかりの態勢。
田北が至近距離からのシュートを指一本でセーブする。「見たか!」と得意気に叫ぶ自分、が、直後にやはりハッと我に返れば「JFL上がりのチームに何でピンチをを作られているんだ…」と情けない感覚に陥る。
やっと2-0で勝ったものの、歓喜ではなく完全に安堵の勝利だった。
完全に相手を舐めていた。2部リーグを甘く見ていた。
駒場を出た直後、つい大声で「水戸相手にこれじゃ先が思いやられる」と言ってしまったが、周りを見れば同じような言葉を発しているサポーターばかりだった。みんなそれが率直な感想だったのだろうか。
この時点で早くも前途多難を予感させていた。
勝てば「格下に勝って当たり前」
負ければ「格下相手に情けない」
そんな煮え切らない、素直に勝利を喜べない、屈辱と苦悩のシーズンが始まった。
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2000年3月11日/駒場スタジアム
J2リーグ第1節 浦和2-0水戸
得点/30分・阿部(浦)、68分・ピクン(浦)
観衆:18,422人
いきなりのコメントで失礼します。
とてもおもしろい内容のブログですね。
私は4年ほど前からレッズを好きになったもので、それ以前の事はよく知りません。
また、昔のレッズのお話書いて頂けたら、と思っております。
浦和レッズが名門の強豪だとか、野球でいうゴミ売りジャイアンツなんぞと勘違いしてる若者には是非知ってほしい歴史ですねえ~
日本 南アフリカW杯決まりましたが、圧勝して強さを見せると息巻いてた割には酷い試合でしたね。
初めまして。
ありがとうございます。また色々と書き綴って行きますので、たまに覗いてくれたら幸いです。昔のレッズを知ると、より今のレッズを好きになれると思います(笑)
からくり士さん
おはようございます。
まあ今でこそ強くなりましたが、昔は弱さの代名詞だった頃もありましたからねぇ。
それにしても、ウズベク戦は辛くも勝利ってとこですね。しかも長谷部が退場でしたね(汗)。
駒場の試合はほぼ全て行ってましたが、その時はスタジアム周辺も中も何か違う初めて感じる雰囲気でしたね。当時のいつも通りにゴール裏の上の方に陣取り、前の熱狂的なサポーターの姿はいつもと変わらなかった記憶がありますが… 妻も、さすがにJ1と違うね…と言ってました。試合は勝利しましたが、正直あの時に水戸に敗れていたら…考えるとちょっと恐かったですね。 とにかく、この開幕戦と、昇格を決めた試合の事はよく覚えてます。後はうえさんのコメントを読ませて頂いて記憶を戻したいですね。あのシーズンの駒場での試合は2つか3つを除いて全て行ってました。今のレッズの基盤になったと言ってもいいJ2シーズンです。こんな思い出話、なかなか出来ないです。次を楽しみにしてます! 長くなりました…
そして当時は北浦和レッズだった東浦和レッズさん、こんにちはです(笑)
サポーターの密度と応援はJ1と変わりはなかったですが、やはり心情的な部分ではJ1とは違うものがありましたねぇ。そして4回戦総当たりという長いリーグの始まりでした。際どいシーンが何度かあってヒヤッとしたのを覚えています。でも今から考えたら大きな1勝でしたね。
ボクはこの当時は浦和にいなかったので駒場の様子は写真でしか知らないので、殺風景の加減についてはまっく記憶がないのですが、シーズンが始まる前は普通に全勝できるだろうと楽観的に見てました。それがあんなに苦労するとは…。
2006年になって横浜FCがJ1に上がってきそうだ、ということで何試合か横浜FCの試合を観にJ2の舞台に足を踏み入れましたが、その時にはあまり違和感はなかったですけどね。
今だから言えますけど、J2がプロのリーグとして機能しているのも、海のものとも山のものとも言えない時期にレッズがシーズンを過ごしたことで刺激を受けたチームがJ1に上がり、さらにその過程をJ2で見ていたチームに力がつきつつあるわけで、Jリーグ全体を通してもレッズがJ2にいたことは無駄じゃなかったどころか功績とまで言えるんじゃないかと。
でも、J2暮らしはもう嫌です(爆)
こんばんはです。
レッズが落ちた時代だとJリーグ自体の公式スポンサーはJ2では広告看板を出していなかったのですが(大日本印刷がJ2スポンサーとして出してましたけどね)、今ではJ2もしっかり注目されているので看板は出ているようですね。時代は変わりましたねぇ。
もちろんJ2には二度と落ちたくないですが、あの時にレッズがJ2で果たした役割は大きかったですよね。確実に二部リーグの価値を向上させましたよ。観衆もJ1のどのチームよりもより上回ってましたし。
赤いチームの黒歴史ですね。
確かに全勝優勝だなんていってて、
まあ、最初は何だかんだで連勝してましたね。
それで、確か仙台に初引き分けで、
その後、山形戦アウェイ。
この時、J2なんか今年限りだからと、
山形まで家族全員で日帰りで出かけたのです。
そして、まさかの初黒星!
帰りに何かおいしいもの食べて行こうね、
なんて言ってましたが、まっすぐ帰りました。
帰りの高速道路、誰も口ききませんでした。
おはようございます。
J2で初黒星となったアウェー山形戦ですね。自分はあの時はレッドボルテージから観ていました。全勝なんて言われていたたげにあの敗戦は本当にショックでしたね。しかも山形にはホームでも負けましたし。
山形とはそんな因縁もあるので、今年は絶対勝ちたいですね。
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レッズと酒に生きる。
スタジアムではゴール裏住人であります。