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浦和レッズが好きなすべての人々へ捧ぐ…
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別に忘れていた訳では・・・ないんだけど、どうも書くタイミングを逸するとこうなる。前回の記事から一体どんだけ間を空けているんだよ、と自分でツッコミを入れてしまったほど、わずか1週間後の試合の記事を、約5ケ月後に書くという、呆れるくらいに間を空けた2004チャンピオンシップ第2戦の話である。まあ来週またマリノス戦だから、調度良いというか、景気付けに一発。

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仲間が前日抽選で25番という超素晴らしい順番を引き当てたチャンピオンシップ第2戦。
『レッドカード』がカラーオフセットになっていて、CDまで付いていて、思わず買ってしまった。
何も知らせぬママ少し時間に遅れてきた仲間の一人に文句を言ったせいで、少し口喧嘩になった。
それ以外には自分的には特に何の変わりもなく、何となく普段の試合に臨む感覚だった。この試合に逆転すれば、初のリーグ優勝という緊張感はあったものの、その場が埼スタだった事もあって、特別違和感のある試合ではなかった。これまで優勝や昇格のかかった試合はあったが、なぜかこれほど穏やかに迎える決戦。自分で何故これほど落ち着いているのか不思議だったのだが、その理由は試合後にわかった。

1週間前に横浜で、奇しくもレッズが放出した河合のゴールで第1戦を0-1で落としてはいたが、この点差なら何ら心配は要らない、むしろ十二分に逆転できるはずの点差ではあった。だから、先制すれば、その勢いで逆転出来ると思っていた。
スタジアムをグルリと囲む三菱自工の『日本一のサポーターがついているぞ』広告に感動しつつ、真冬に入った12月で19時半キックオフはさすがに寒く、前回と違って駅からダッシュした訳ではないから、キックオフ時に既に身体が冷えてしまったが、試合が始まれば熱くなる。
試合は一進一退。しかし74分にマリノスは中西が退場し、そのわずか2分後にアレックスが放った長距離のFKがファーに吸い込まれた時、思わず椅子の天辺に飛び乗って飛び跳ねてしまい、あのまま落ちる俺の身体を下で仲間が支えてくれていなかったら、そのまま真っ逆さまで怪我していたかも。ひじょうに危険な歓喜の瞬間だったが、それ程までに超歓喜の同点劇だったのだ。
敵は1人退場済み、同点、そしてここはホーム埼スタ。さあ逆転の要素は3拍子揃った。以後モチベーション噴出のままロスタイムに。そう、あの悔やんでも悔やまりきれないロスタイム。・・・嗚呼神様、あの時、闘莉王のゴール前ドフリードンピシャヘッドが、ニアかファーに飛んでいれば・・・

あの瞬間、あの場面が今でも超スローモーションで思い起こされる。キックの瞬間からボールの軌道、そしてシュートまで、それ程までにキレイなヘディングシュートだったのだ。・・・だが、きれい過ぎた。ボールはきれいにキーパー正面・・・っ!!一瞬決まったと思って半分飛び上がった身体を脳が制止し、無理な体勢になった瞬間に俺の両脇が攣った。延長突入。

先月、ナビスコ決勝での二の舞だけは避けなければいけない。しかし、このパターンは・・・あの時、アルパイのヘッドが決まらなかったように、今回も闘莉王のヘッドが決まらなかった。そしてサッカーの神様は延長後半、帳尻合わせのようにエメルソンを退場させる。そしてまたも、PK戦に突入。サッカーの神様は、レッズを弄んでいるのだろうか。
PK戦だけは、この時のレッズが一番持ち込んではいけない要素だった。1人少ないFC東京にPK戦に持ち込まれて破れた11月の悲劇。ギドレッズは、90分間で勝利するサッカーを前提にした練習を続けていた。故に、PK戦というものは想定外であったのだ。聞くところによれば、ナビスコ決勝以前は、PK戦をまったく視野に入れていなかったのだという。そして破れたナビスコ決勝でのPK戦は、レッズに大きな凝りを残した。そしてそのまま、今回もPK戦を迎えてしまったのだ。また、あの時と、同じように。

ナビスコ決勝と同じ轍を踏んで破れたレッズは、以後PK戦というものを重要視するようになった。その経験が3年後のACL準決勝で生かされる訳だが、それはまた後のお話。あの時の自分は、ただただベンチに向かって走るマリノス選手陣と、ベンチを飛び出した岡ちゃんの歓喜の輪を、呆然と眺めるしかなかった。そして強烈に冬の寒さが襲ってきた。

帰路、破れた悔しさ以上に、レッズの大舞台での経験不足を嘆いた。それは試合前の自分の感覚と繋がっていた。
優勝が決まるチャンピオンシップ第2戦なのに、いつもと同じ感覚で臨んでいたかもしれない自分のモチベーションは、ある意味でこの大舞台を知らない、経験したことがない故の、経験不足が招いた感情だったのかもしれない。
始めてナビスコ決勝に臨んで、そして破れた3年前の国立での、試合前の感覚に似ていた。試合前に、ここまで勝ち進んで、ここまで登り詰めた事で、一定の満足感で満たされて、もっと大事な緊張感が芽生えてこなかったのかもしれない。今から思うと、黄金期を迎え始めた頃のレッズは、そういう人間的なクラブだったと、そう思える。

優勝したら浦和で朝まで飲み明かす予定だったが、それも叶わぬママ肩を落として終電間際で地元の駅に降り立ち、フラッと立ち寄った駅前のサンクスで、現実逃避気味に物色していると、誰かに後ろから抱きつかれた。一瞬、万引きと間違われたかと思った。
「お、こんな所で何してるの!?」イタズラっぽく話しかられ、誰かと思ったら、家族付き合いしているMさんだった。この時、優勝を逃した憔悴感で、あまり人に会いたくなかっただけに、アチャ~と思ったが、何だかこのまま家に帰りたくない気分が勝ってしまい、Mさんに「ヤケ酒つきあって!!」と自分から居酒屋に引っ張って行ってしまった。
皮肉にも、優勝を逃して地元で朝4時まで飲み明かしてしまった。
ところが、なんとMさんは次の日も仕事だったのだ。その事を飲んでいる最中は一言も言わず、普通に朝4時までヤケ酒を付き合ってくれたなんて、本当に申し訳ない事をしてしまった。すまんMさん。

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2004年12月11日/埼玉スタジアム2002
サントリーチャンピオンシップ・第2戦 浦和1-0横浜マ
得点/76分・アレックス(浦)
観衆:59,715人
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前回からの流れで、いよいよチャンピオンシップである。

93752b8d.jpg2ステージ制がこの年限りで廃止される以上、当然の事ながらチャンピオンシップも04年限りとなった訳で、この年のファーストステージ覇者の横浜と、セカンドステージ覇者のレッズは、最後のチャンピオンシップを戦ったクラブとなった訳だ。

この試合、当然チケットは入手していたが、個人的な事情から朝からは行けず、夕方5時に地元の駅で仲間と待ち合わせて横浜へ猛ダッシュという慌ただしさだった。
この時の東横線が、武蔵小杉辺りから乗車率120%の超鮨詰め状態で、「ああ、こういう電車で通勤通学する人は毎日大変だなぁ」・・・なんて余裕こいてる場合ではない位のラッシュ地獄。更に新横浜からはマラソンランナー顔負けのお決まり猛ダッシュで、スタジアムの外周に辿り着いた頃には、レッズサポの試合開始前の気合いのコールを聞きながら走る走る。ようやくゴール裏へ滑り込んだのも束の間、別働隊の仲間に電話をかける暇もなく、直後にキックオフ。で、もうその場で応援開始となってしまった。何だか戦闘前に既に汗ビッショリのハアハアゼエゼエ状態で、疲れていた自分達であった・・・(苦笑)

それがいけなかったのか、開始直後から押されまくるレッズ。いきなり坂田だか誰だかの危険なシュートがゴールポストをかすめるヒヤヒヤの展開。
うーん、こういう場面では大舞台慣れしているチームと、そうでないチームの精神的な部分が出てしまうのだろうか。レッズは明らかに動きがぎこちなくて、緊張しているのがわかったし、自分だってこの特異な雰囲気に戸惑っていた部分はあった。そもそもその特異な雰囲気を作りだしているのはサポーターのはずなのだが、それに呑まれっている感じがするのは・・・矛盾しているのだが・・・

ハーフタイムに別働隊の仲間から携帯へ電話があったが、周りも鮨詰め状態だったからすでにその場から動く気が無かったので、後半もこのままスタート。
この後半がレッズにとっても横浜にとっても、因果を観た展開となったのだから、世の中というのは恐ろしいし面白いのである。無得点のママ進んでいた試合の均衡を破った人物こそ、かつてレッズでイマイチ芽が出ずに放出され、地域リーグへの移籍が決まりかけていた寸前の所を横浜が拾った選手=河合竜二だったのだから、何とも皮肉な話である。レッズ時代、河合があんな打点の高い豪快なヘディングシュートを決めてチャンピオンシップでヒーローになるなど、一体誰が予想していたであろうか・・・

0-1という敗戦は、一週間後に行われる埼スタでのセカンドレグに望みを繋げるには十二分な点差ではあったが、決勝点を決められた選手が選手なだけに、ある意味でショッキングなものが脳裏に残ってしまった。

トボトボとゲートを出た所でまた別働隊の仲間から電話。ああ、この人達の存在をすっかり忘れていた、と思って電話に出ると、車で来たから送ってやるというので、何処に駐めてあるのか聞くと、なんとスタジアムの地下駐車場。・・・嫌な予感がした。
そう、案の定合流するまで1時間、スタジアムから出るまで1時間、高速乗るまで1時間・・・電車ならもう家に着いてるやんけ!と、半ばパニックになったものの、せっかくの仲間の好意を無にする訳にもいかず・・・
しかも首都高大宮線から降りると、そのまま与野本町方面へ・・・( ゚Д゚)ポカーン・・・あの、俺の家は富士見・・・あれ~・・・見馴れた飲み屋の前に到着・・・仲間の先輩「さー、飯喰おうぜ」・・・時刻はすでに深夜1時。ハハ、ハハハ、・・・
もうヤケになって、んな時間から2時過ぎまでザ・ヤケ酒である。狭山在住の仲間とタクシー乗り合わせて、自分の地元に帰還した頃には3時半・・・その後ロクに寝られず、酒が残り眠い目を擦りながら出勤し、同僚からは昨夜の敗戦をからかわれるのであった。

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2004年12月5日/横浜国際総合競技場
サントリーチャンピオンシップ・第1戦 横浜1-0浦和
得点/66分・河合(横)
観衆:64,899人
今日はクラブの仕事始め日だから、それに連動して何か良い話でもあるかな~?と待っていたけど、この期に及んで何もないようなので、じゃあ代わりに何か景気の良い話でもしようという事になり、じゃあ優勝した話でもして現実逃避しようと、また「あの日、あの時」であ~る。

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試合に負けて優勝を逃した経験はあっても、負けて優勝したというのは実に特異である。そりゃ勝って優勝したかったけど、まあこんな形の優勝も良い経験だったのではないかと、今だとそう思える、そんな2004年11月20日の午後だった。
レッズは、Jリーグにおける最後のステージ覇者である。この年を最後に、Jリーグは2ステージ制を廃止する事が決まっていたから、後にも先にも、レッズがステージ制覇を成し遂げたのも、この年のセカンドステージだった訳。
弱かったレッズが、長年に渡って欲しくて欲しくて溜まらなかったステージ優勝のタイトル(但しJリーグにおいては準タイトル)が、2ステージ制最後の年の最後のステージで手に入ったのだから、何とも皮肉な話ではあるが・・・

駒場に大量の紙吹雪が降り注いだ
ぶっちゃけ、試合内容はあんまり覚えていないんだよね。当時残り3節を残して首位独走だったレッズは、2位にガンバが追っていたものの、そのガンバが負けるかレッズ自体が引き分け以上なら今節で自力優勝だった。
が、いざ試合となると名古屋相手に2点を先行されて、エメが1点を返したものの負けは負け。試合的には全くインパクトが無い内容だったので、語るべきものでは無いと思うが、それよりも、試合開始ホイッスルとともにサポーターから撒かれた超大量の紙吹雪、これが凄かった。あまりの凄さに伝説化してしまったこの紙吹雪。西ゴール裏の中段付近に居た自分たちであったが、自分たちも紙吹雪を撒き始めた途端に視界が真っ白になって、僅かな隙間から外を覗けば、スタンド全体からナイアガラの滝のような紙吹雪が舞い落ちていた。鳥肌が立った。と、頭上に衝撃が!!「ギャッ!って、いてーなオイ!!」このポジションに陣取ると、たまにこういう悲劇に見舞われるのである。・・・上のSB席の人!頼むから紙吹雪は固まりで落とすなっつーの!・・・って、あの量なら仕方の無い事だったのかもしれないが・・・紙吹雪は重数トンにも及ぶ量だったとか。

試合終了のホイッスルは何とも情けないもので・・・「あ、負けちゃった・・・優勝が・・・まあまだ試合は残っているし次・・・」なんて思うか思わないかの時に、何処からか「ガンバも負けたってよー!優勝~!!」との声が・・・!!が、自分も周りも意外と冷静で、負けて優勝という経験が無いから、これでどう喜んだら良いかわからない。ズッコケながらも「な、何だこの優勝の仕方は・・・ハハハハ・・・」ってな感じだった。優勝の報を告げるアナウンスが響いても、やや歓声、ちょっと苦笑混じりの駒場・・・まあ、みんな嬉しい事には変わりは無いんだけど、状況が状況だったから・・・

夜の浦和で
試合が終わって、浦和西口で号外争奪戦を繰り広げてハアハア状態の所に、別働隊の仲間から電話がかかってきて、合流して、さあドンチャン騒ぎ開始である。
何処の酒場も赤い人たちで超満員。で、庄やに行ったら店員が「出口」ん所に特設酒場を開設してくれて、寒空の中で堂々と飲み始め。ただし心はホットだからお構いなし。あの夜、庄やの階段上がりきった所の端でオンボロケースを机代わりにして飲んでて、来るサポ来るサポに爆笑されていたのは、俺たちです(笑)
力の前で、ウラワポイントの前で、あそこでもここでも、通りを埋め尽くす赤い大群衆、タイコを鳴らし、旗を振り、チャントやコールに爆竹、そして飲めや歌えの大行列。本当にここが日本?と一瞬錯覚するような、今まで味わった事のない光景の中に自分も飲み込まれていた。あの日の浦和の夜の光景は、一生忘れないかもしれない。

さすがに騒ぎ過ぎて、3次会だか4次会だかで落ち着いたさくらやの裏地帯にあるバーに入ったけど、そこにもサポは居て、席に着いた自分たちに、別のグループの方がシャンパンを振る舞ってくれた。嬉しかった。
で、店を出る時にそのグループさんが「みんなで写真を撮りましょう」というので、店の前で並んでみんな記念撮影したっけ。この時、ああ、やっぱレッズサポって良いなぁと、しみじみそう思った。
あの時の名も知らないグループの方々、どうしているかな。今も埼スタで声を張り上げているだろうか。

で、うっかりしていたら終電間際だっので、慌てて電車に飛び乗った。
翌日、恒例の新聞買い占め。昨夜の余韻に浸りながら次に待つチャンピオンシップに思いをはせる・・・と、昼になるにつれてどうもノドがおかしく熱っぽい事に気付いた。・・・そう、寒い中でジャンパーも着ずに薄着の上にレプリカだけの状態で騒ぎ過ぎて、案の定風邪をひいたのだった(苦笑)

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2004年11月20日/駒場スタジアム
J1リーグ2ndステージ第13節 浦和1-2名古屋
得点/40分・マルケス(名)、77分角田(名)、88分・エメルソン(浦)
観衆:21,192人

仕事でバタバタしている間に11月になってしまった。
11月は、自分の人生において実に関わりの深い月で、誕生日も11月なら、それ以外にも色々な出来事に見舞われた月も11月が多いのである。それは良い事もあれば悪い事もあるのだけど、とにかく11月は、自分にとってはそんな月なのである。

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2003年11月3日は、レッズにとっては念願の初タイトルを獲得した記念すべき日である。
昨年ナビスコ杯で決勝の国立にまで進みながら、最後の最後で鹿島相手に0-1で破れてしまったレッズは、その雪辱を晴らそうと、この年も見事に決勝まで勝ち進む。しかも決勝の相手は、なんとまたも鹿島だったのだから、これはサッカーの神様もまたも憎い演出をするものだと思った。これではまるで何かのスポ魂ドラマである。何故かその中でもスクールウォーズのシナリオを思い返してしまった。

福田と井原が引退し、トゥットや阿部敏之が移籍したレッズの陣容は、この年を境に大きく変わって行く。
ヴェルディから獲得したエジムンドが不可解な形でナビスコ予選わずか2試合で退団したものの、ガンバからはGK都築、そして札幌から山瀬を獲得していた。
啓太や長谷部の成長も著しく、2年目の坪井や平川がレギュラーとして不動の地位を築くとともに、円熟味を増した山田の存在も大きく、新主将ウッチーが堅実的にチームを引っ張った。
怪我を繰り返していたゼリッチがようやく安定感を取り戻すとともに、夏にはロシア代表DFニキフォロフも獲得。そして前線ではエメルソンと田中達也が快速を生かしてゴールを量産していた。


この期に及んで未だシーチケホルダー優先など存在しなかったナビスコ決勝チケットは、発売日前夜から例の地元の穴場で徹夜して獲得した。あの頃は若かった・・・
昨年から意識が成長したのは、クラブよりサポーターの方が一歩先だった。昨年決勝での並びの混乱や労力低下を防ぐために、ナビスコ決勝でも前もって抽選を行う方法が採られたからだ。この組織的ルールにより、レッズサポは定められた時間に国立に集合。後は番号順に何の混乱も無くスムーズに場内に入場出来た訳だ。しかもこの抽選、俺はかなり良い番号を引き当てたのだった。
また与野本町から仲間の車で国立まで来て、またホープ軒を喰うパターンは昨年と変わってはいなかったが。しかし曇っていたのと、昨年を教訓とした防寒対策のおかげで、寒さは幾分和らいでいたと思う。

去年と1日違い、晴天だった去年とはうって変わっての小雨交じりの暗天。しかし舞台は一年前と同じ。相手も同じ。その鹿島は怪我人や出場停止などで幾分戦力が低下していた事実はあったのだが、それに対してレッズは昨年に比べて明らかに戦力が充実している。そしてファイナリストも2度目という自信が身に付いていたし、”ここで勝たなきゃ何処で勝つ”的な初タイトル獲得を予感させる雰囲気満々だった。
そんな勢い充分のレッズに対し、鹿島はらしからぬ5バックとも6バックとも称された超守備的陣形で臨んで来たが、開始僅か13分でその守備的陣形をあっけなく打ち破って山瀬が先制した。
前半終了間際にエメと坪井が同士討ちで流血するハプニングはあったものの、後半にはエメ、達也、エメと、レッズの破壊力が爆発して、試合は4-0というレッズに圧勝に終わった。
余りの大差に、終了のホイッスルを待つ緊張感も半減してしまって、少々拍子抜けというのが本音ではあったが、それでも初タイトル獲得という事実に、身体は震えていた・・・

表彰式を見届けた俺らは意気揚々と一路浦和へ。
これからチームが駒場に凱旋するというので、そこで再びチームを祝福しようと、俺らも駒場に向かったのだった。
駒場に凱旋したレッズとレッズサポ。そこで、エメがオフトの肩にしがみついて子供のようにピョンピョン跳ねながらはしゃいでいる、それをまた優しい笑顔で受けているオフトの姿が印象的だったな。
この後、なぜ俺らは浦和ではなく北浦和で美酒を飲んだのかがわからない。普通なら浦和に行くのだろうが、何故かこの夜は北浦和に足を向けてしまったのだ。その北浦和は、レッズが初タイトルを獲得した日とは思えないような静けさに包まれていたのが妙だった。きっとみんな浦和に行ってしまったのだろうけど。
ガランとした居酒屋で、「やっと、初めてタイトル獲ったなぁ・・・」そればかりが言葉に出る、記念すべき日なのに妙にしんみりした夜だった・・・

翌朝、出社前に必殺のスポーツ新聞買い占めを敢行。赤いトップ面を期待し胸躍らせてコンビニに向かったのだったが、そこで見たものは「小久保巨人へ電撃トレード」だった。
これにはさすがにズッコケたが、中面は赤一色。「レッズ初タイトル」・・・その隣には、『オフト辞任』というショッキングな文字が並んでいた。
ここから、レッズは黄金期への道を歩むことになるのだったが・・・

さらにそれから数日後、俺自身のその後の人生を大きく変える出来事が起きるのだが、それはまた別の話。
今から思えばこの年の11月は、レッズと俺にとって、大きな転換期を迎えたように思えるのだった。

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2003年11月3日/国立競技場
ヤマザキナビスコ杯決勝 鹿島0-4浦和
得点/13分・山瀬(浦)、48分・エメルソン(浦)、56分・達也(浦)、86分・エメルソン(浦)
観衆:51,758人

福田の戦力外が発表されたその日、某掲示板では様々な意見が飛び交った。更に「福田は現役続行を希望している」とか「FC東京の原博実が福田にオファー、その他にも甲府や湘南が興味を示している」という未確認情報が出ていた。その上で掲示板では、始めは「移籍をしてでも現役を続行してほしい」という意見が多かった気がする。そこで俺は俺で、本音をぶつけてみた。
「現役を続行してほしいという気持ちはあるが、それはあくまでレッズでの話。自分としては大将がレッズ以外のユニを着るのは想像出来ないし、想像したくもない。ましてや、もしも来季から敵として戦うような事になれば、悲しいし堪えられない。レッズで現役を続けられないのであれば、引退して、このままレッズの福田として良き思い出のママ終わってほしい。」
そう正直に書いたら、それまで現役続行派が大半を占めていた板上で、自分の意見に同調する声も溢れ出てきた。その上で「引退を望むなんてサポの言葉とは思えない」という人も居れば、「ミスターレッズとして引退してほしいという思いは当然」という意見もあり、それからの板上は侃々諤々の(良い意味で)大荒れとなったものだ。

福田は、特別だった。もちろんどんな選手でもレッズのユニを着ている以上はレッズの選手で居てほしいのは当然なのだが、三菱時代からレッズ一筋で戦ってきたミスターは、それ以上に特別な存在だったのだ。もし福田が”移籍”となれば、これまで培ってきた思いが、そこで吹き飛んでしまう。それが恐かった。それは一人のファンとしてのエゴや我が儘かもしれないが、それでも最後までレッズの福田正博で居てほしかったのだ。

天皇杯、駒場での福岡戦がレッズ福田のラストマッチとなったが、途中でピッチを退いて行く姿を西ゴール裏から眺めていた自分も、この時点では暗澹としたさびしさを感じるに留まっていた。
結果的にこの時既に福田は引退を決意しており、それが年明けすぐの引退会見へと繋がるのだったが・・・。

fu.JPG引退試合

2003年6月15日、埼スタで行われた福田の引退試合は、かつて国立で行われたラモスの引退試合を上回る5万人以上の大観衆を集め、ミスターレッズの最後を飾るものとして実に華々しいものだった。
福田は、レッズに在籍した往年の名選手を中心に編成された「レッズ歴代選抜」で先発。ギドや井原のDFラインに支えられて、岡野(当時は神戸)と2トップを組んで、ペトロやバインとコンビネーションを見せながらピッチを走り回る福田の姿を目の当たりにして、「これで最後なのか」と妙にしんみりしてしまった。
パスから飛び出して決定的場面を作る福田を、「浦和レッズ」ゼリッチが懸命のファールで止めてしまう。「コラー!ネド(ゼリッチ)空気読めよ!!」今でも笑い話として語り継がれるゼリッチのKYファール。現役選手として、引退する選手の突破を許すわけにはいかなかったのだろう。
かつて”ドリブル突破日本一”と称された福田をファールでやっと止めるDF。一瞬、福田の全盛期の姿が蘇って、胸が熱くなった。
選抜チームは結果的に1-4で破れたものの、福田は75分からは現役チーム側に入り、80分にCKのセットプレーからヘディングでゴールを決めた。最後の最後で有終のゴールを決める辺りは、数々の記憶に残るゴールを生み出してきた福田らしいゴールだった。そして思った。「ああ、これで本当に最後なんだな・・・」悔いの残らないように、何度も何度も「ゲットゴール福田」を叫んだ。

fu2.JPG試合終了のホイッスルの瞬間、「終わっちゃったなぁ・・・」とつぶやいた。
一瞬、何かわからないが、妙な空白感に襲われて、ハッとすると、オランダから駆け付けた伸二によって福田に花束が贈呈されていた。レッズのひとつの歴史が終わって行く瞬間だった。
「ありがとう」福田は最後にそう言い残し、スパイクが宙に上がって行った。

試合終了後もしばらくゴール裏に残り、その浮いているスパイクをボ~っと見ていた記憶がある。
風に吹かれて、スパイクがプランプラン揺れていた。
「本当に、終わっちゃったなぁ・・・」

試合後、仲間の地元である与野本町に向かった。店に入ると、テレビ埼玉で引退試合の再放送がやっていて、それを観ながら仲間と一杯やって10時頃に帰宅。
と、NHKサンデースポーツで引退試合のニュースが流れている。試合前の何人ものサポーターへのインタビュー映像が流れていたが、その中のひとつ、コンコースで「福田!今までありがとう!!」と力強く応えている男性サポのすぐ後ろで、生ビール片手に談笑しているどこかで見た集団が映っている。「??・・・俺達かよ!!」仲間の一人は何故かカメラ目線だし、俺は俺で気付かずに他の仲間と話しているし・・・オイオイ、カメラ映り悪いなぁ、俺・・・

あと1勝すれば優勝という試合は近年幾度となく経験したが、レッズとレッズサポーターがそれを初めて体験した試合が2002年ナビスコ杯決勝だった訳だ。
結果から言えばこの試合は、鹿島に0-1で破れて、レッズは悲願の初タイトル獲得をあと一歩で逃す形になったのだが、この敗戦こそがその後のレッズ黄金期のスタートでもあったように思える。
雪辱に燃えるレッズは翌年、同じナビスコ杯で再び決勝まで勝ち進み、昨年と同じ対戦相手である鹿島相手に勝利し、見事初タイトルを獲得するのだから。

さて初タイトル獲得の話はまた別の機会に書くとして、今回はレッズが初めてファイナリストとなった2002年ナビスコ杯決勝について。

初めてのファイナリスト

10月2日、アウェー万博でガンバを3-2という接戦で破り、初の決勝進出を決めた時は、全国のレッズサポーターは狂喜乱舞したことだろう。平日アウェーだったから自分は自宅ラジオでこれを聴いていたが、決まった瞬間、時間も考えずに仲間に電話をかけまくってしまった。しかも決勝の相手は鹿島。これまで何度も苦汁を飲まされて来た宿敵を、いよいよタイトルのかかった試合で叩くチャンスを得たのであるから、これはもうモチベーションが何重にも上がる。

10月5日、駒場での神戸戦当日が決勝チケット発売日という慌ただしさ。何故プラチナ化確実なチケットを試合日に発売するのか?とチケット発売方法に疑問を持ったものだったが、とにかくこれを手に入れなければ始まらない。仲間と手分けして、仲間の一人は駒場で列を確保しながら携帯で、自分ともう一人はOCMプラザ某店(ここ、けっこうな穴場だったのだが、数年前に無くなってしまった(泣))に並んで、無事にチケットを確保したのだった。

f3f6bd1f.gif試合日まで、新聞やサッカー誌はレッズ決勝進出に関する記事が賑わし、レッズにとっての初タイトルはもちろん、三菱時代からクラブを一筋に支えて来た福田にもいよいよ初タイトルを、との声も日増しに高まっていた。

当時のレッズはオフト就任1年目。前線にはトゥット、エメルソンという強力外国人を擁し、更に永井、田中達也も控えていた。
FWが過密になる中、オフトは福田にバランサーとしての役割を与え、2列目、3列目のポジションでレギュラーに復帰させ、福田もそれを忠実にこなしてチームに活力を与えて居た。

試合前夜、与野本町の仲間の家に集合して一杯やって一眠りしてから、仲間の車で深夜の首都高をすっ飛ばしていざ国立へ。
国立に着くと、既に長蛇の列!当時のナビスコ決勝では抽選なんて存在していなかったから、みんな徹夜体制で並んでいたのだ。
まあ、それは想定内だったから良いのだが、それ以上に、とにかく寒い!!11月初めにしては、やたらこの日は寒かったのだ!ジャンパーの厚着も、ホープ軒のラーメン喰っても、とにかく寒いものは寒い。一眠りしようとしても寒くて寝られない。極寒の夜に「寒い~!死ぬ~!」「ファイナリストって大変だなぁ!」と訳の分からない言葉を朝まで連発し、寒さ凌ぎに彼方此方徘徊しながら耐える。そしてようやく列が動き出したのは10時過ぎだったか・・・
国立に入場してもゴール裏は大混雑で前に後ろに進めず、「こりゃあ通路だな」なんて覚悟していた矢先に携帯が鳴る。「おーい、席確保したってよ」・・・別働隊が最前列に近い陣地を確保してくれたとの報。
陣地に着いて一呼吸してピッチを見渡せば、「これは・・・」それ以上の言葉が続かなかった。一瞬時が止まったかのように、その風景を見渡してしまっていた。スタンドの壁には一円花輪が飾られていて、普段見馴れない超豪華な風景に、ハッと我に返った時には「これが決勝かぁ、すげぇなぁ!!」と興奮を覚えたものである。
こんな素晴らしい舞台で戦える感動。
「あと1つ、あと1つ勝てばタイトルを手に入れられる・・・!!」

2002年11月4日、快晴。やや冷たい風と昼下がりの強い陽射しの中・・・いよいよ運命のキックオフ!!

と、実はこの試合、俺は断片的にしか覚えていない。
応援に熱が入っていた、と言えば聞こえは良いが、正直決勝という緊張感もあってか、普段以上に我を忘れて、試合に入り込んでしまっていたのだろう。
小笠原のシュートが井原の身体に当たってコースが変わり、不運な失点を期した場面。
突破されようかという時に、福田が必死に相手に食らい付いてなぎ倒して、ファールしてしまった場面。
鹿島の組織的守備に動きが封じられて苦悩するエメルソン。
そして、ついにトゥットが抜け出してキーパーと一対一となった場面。「!!」・・・しかしこれを防がれて、自分も頭を抱えた。もしあの時、これを決めていたら・・・
気付けばロスタイムで、レッズの攻めが切られて、主審が笛を・・・その瞬間俺は叫んでしまった。「ああ~!待って審判!まだ笛を吹かないでくれ~~!!」・・・それ虚しく国立に響く試合終了の笛の音・・・終わってしまった・・・
あっという間の90分は、0-1という結果で、レッズはあと1歩の所で初タイトルを逃してしまったのだった。レッズサポも、そして福田も・・・。

対峙する鹿島ゴール裏から「浦和レッズ」コールが聞こえてきたが・・・。

何だか妙に疲れてしまって、「飲まないの?」との問いかけに「疲れた。今日は帰るわ」と、居酒屋に寄らずに陽がある内に帰宅してしまった。
自分の部屋に入ると記念品とナビスコのお菓子を放っぽり投げてバタンキュー。「ああ、くっそぅ~、せっかく決勝まで行ったのに~~~!!!」頭の中で悔しさが渦巻いていた。この時は、来年雪辱を果たしてやろうなんて事にまで頭は切り換えられておらず、ただただ後悔(何の後悔かよくわからんが)と悔しさで一杯だった。

そしてこの月の末、福田に戦力外通告が下されることになる。

**********
2002年11月4日/国立競技場
ヤマザキナビスコカップ決勝 鹿島1-0浦和
得点/59分・小笠原(鹿)
観衆:56,054人

ようこそ!!
試合終了/クラブワールドカップ5位決定戦 Wカサブランカ2-3浦和 得点/18分・マウリシオ(浦)、21分・エルハダッド(Wカ)、26分・柏木(浦)、60分・マウリシオ(浦)、94+4分・ハジュージPK(Wカ) ・・・次の試合/― ―-―(―=――月――日――:――キックオフ)今シーズンの全日程は終了しました。


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埼玉県富士見市在住

レッズと酒に生きる。
スタジアムではゴール裏住人であります。
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