何を血迷ったのか、突如思いつきのように始める新カテゴリー記事。
生き物であれば、人間老若男女関係なく、年月が経つとだんだん昔の記憶が薄れて行くもので、それでも簡単には忘れない、忘れてはいけない出来事がある。
今回は、そんな俺が過去のレッズを思い返して、節目節目の試合を記憶が薄れる前に、改めて日記に留めておこうという完全自己満企画。
MDPの上野晃氏のコラムを真似して、題して「俺のあの日、あの時」。
ただし果てもなく昔の試合を改めて記事にしろと言っても、これは曖昧な記憶が邪魔していて訳がわからなくなる危険があるので、区切りとして、99年11月27日、そう、レッズのJ2降格が決まったあの日から始めたいと思う。
ちなみにこの企画の試合は順番ではなくて、ある程度は前後するかもしれないので、あしからず。
(尚、記事にする試合は、俺が逆襲日報inブログでレッズ関連記事を書き始めた05年4月3日以前の試合が対象)
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あの日、駒場西ゴール裏の端の方にいた俺は、刻一刻と迫る終了の笛の恐怖に怯えながら、それでも必死になって広島守備網をこじ開けようと奮闘しているレッズに対して、こっちも死に物狂いで声を張り上げていた。
福田が投入された。福田をこんな大切な試合にベンチスタートに追い遣ったア・デモスへの怒りと疑問は、この時点ではどこかに消えていた。だって、もう誰がゴールしたってかまわないから、どんな形でも良いから、とにかく1点を入れなければいけない状況に追い込まれていたのだから。
盛田がペナルティエリア内でフリーでボールを受けた。過大評価されもがき苦しんでいた大物ルーキーが、いよいよここで大仕事を果たすのか。と、それをトラップミスしてチャンスをフイにする。頭を抱えた。
後半終了を告げる笛が鳴った。一瞬、シンッと静まりかえった。浦和0-0広島。
この時、俺の周りでは奇妙で不思議な出来事が起きていた。
当時は携帯電話が一般的に普及し始めた時期だったが、まだ携帯によるインターネットは一般的ではなく、携帯によるJリーグ経過・速報を発信していた黎明期のJsゴールも、当然通話音声だった。
あの時のレッズサポだったら、いくら目の前の試合に集中しろと言っても、いくらゴール裏住人と言っても、当然ライバル市原の状況は気になる※。そんな中でもこっそり携帯でそれを確かめていたサポがけっこう居たのだろう。
周りで誰かが言った。
「なんかあっちで言ってる!」
「市原が終了間際に同点に追い付かれたらしいよ!!」
「え!?」
「本当!?」
「本当ですか!?」
周辺は一旦沸き立つが・・・しかし、何かおかしい。だって、それならばレッズのJ1残留が確定するのだから、スタジアム内でもっと歓声が上がっても良いし、そもそも場内アナウンスがすぐにそれを伝えるはずである。
もちろん誰かが言ったその言葉に周り同様俺も期待したが・・・相変わらず静まりかえったままでアナウンスもウンともスンとも言わないし、だいたいレッズの選手も誰一人として喜ぶような仕草もしていない。
デマだった。いや単に言葉の伝達が錯綜していただけなのかもしれないが・・・
※当時、平塚降格決定後の残りの残留争いはレッズ、市原、福岡に絞られ、試合前の勝点はそれぞれ27、25、28。そして市原はガンバと、福岡は横浜と試合中だった。市原はガンバに勝ち、福岡は横浜に敗れた。レッズは延長勝ちで勝点が市原と福岡に並ぶが、得失点差で僅かに1点、得点で2点、福岡に及ばなかった。
延長戦、精神がどこかに飛んでいた。もちろん応援はしていたが、とにかく勝って終わってくれという一心だけで、それ以外の自分がどこかに飛んでいた。声を張り上げて身体を動かしている自分を、斜め後ろからもう一人の自分が見ているような、そんな妙な感覚に陥っていた。
降格が決まっていながら、直後に延長戦を戦わなければいけない状況ほど、サッカーにおいて悲惨で残酷な時間帯は無い。それは選手も、サポーターも。
でも福田の”世界で最も悲しいVゴール”が決まった瞬間、何故か池田ロボ張りに飛ぶような気持ちで喜んでしまった。
降格が決まっているのに、このゴールが残留には無意味なゴールだとわかっていたのに、それでも何故か喜んでしまった。もしかしたら、サッカーの神様が、一瞬だけ俺に悲惨な状況を忘れさせて最後のゴールだけは喜ばしてくれたのかもしれないが、・・・またもシンッと静まりかえった状況に、一瞬で現実に引き戻された。いや、引きずり降ろされた。時に神様は粋で残酷な仕打ちをするものだ。
涙は出なかった。
耐えたわけではなくて、不思議とスッキリした気持ちになった。
ここ数週間、降格の恐怖に耐え続けていた緊張感から、解き放たれた一瞬だったのかもしれない。もちろん悪い意味で。例えは悪いが、逃亡者が逃げに逃げまくりながらも最後は警察に捕まってしまった時に良く「ホッとした」と述べるような、そんな感覚に似ていたのかもしれない。
この試合で引退が決まっていたかつてのバルセロナの英雄、チキの姿を見て、現役最後がこんな形で終わるなんて・・・それを思う余裕は微かに残されていた。
降格については、瞬時に割り切っていたのかもしれない。ただし変にいきなり来季に向けて割り切っていたのではなく、ただただ降格してしまったことについてのみの漠然とした割り切りだった。
帰りの武蔵野線では仲間と「来年2部かよ」「J2かよ」そんなため息混じりの言葉だけを繰り返していた記憶がある。
そしてJ2に落ちたという現実感の無い現実を受け入れようと必死になりながら、今の主力選手が降格によってレッズを出て行ってしまうのではないか?俺達の福田が、岡野が、永井が、ペトロが、そして伸二が・・・レッズは一体どうなってしまうのだろうか、その躁鬱感に怯えていた記憶がある。
帰宅して酒を飲む気力もなく、一瞬でふて寝した。
それからどれくらい時間が経っただろう、騒音で起こされた。
家の中がやけにうるさい。眠気眼で一階に下りると、
居間で親父とお袋が、壮絶な夫婦喧嘩を繰り広げていた・・・
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1999年11月27日/駒場スタジアム
J1リーグ2ndステージ最終第15節 浦和1-0広島
得点/延長106分・福田(浦)
観衆:20,042人
おはようございます。
レッズはこの降格が、チームを目覚めさせた部分は大きいですよね。もちろんこういう悲劇は一度まで。二度とあってはならないし、そうならないためにしっかりとしたクラブとチーム作りを続けてほしいです。
そうなんですよね、あの頃はまだiモードとかメールとかもなんか微妙な時代でしたね。
ボクはその試合は見られなくて外出先から帰ってきて「浦和、ダメだった…」と聞かされて真っ白になって玄関先で呆然と立ち尽くした記憶があります。
J2落ちの悔しさと不安はありましたが、ただ今と違って当時のJ2は力差が大きかったですから1年で簡単に戻れるだろうと妙に楽観的だったのも確かです。
それにしてもうえさんの旧ブログが西村大暴れの大分戦だったとは!そして西村に振り回された次がホームのG大阪戦とは妙な因縁を感じます。次は私見ですが十中八九、扇谷だと思っています。心の準備ができていれば判定に振り回されることはないでしょうから、サポも選手もしっかりメンタルの準備をしたいですね。
P.S.長谷部、優勝できますかね。うえさんの『ブンデスを斬る』も期待しております(^^)/
リアルに映像を頭の中で描いて読めました。
当時の自分は小学生で、まだスタジアムいくほどではなかったのでTVで観ていました。
レッズサポになるきっかけは伸二なので、伸二がレッズを出て行ってしまわないかとても不安だったのを思い出します。懐かしいですね。
あの日、あの時カテゴリー、面白い企画ですね!!これからとても楽しみにしてます^_^
あ やっぱり落ちたかな程度で見てました。
でも気にはなってたんですよ、何で弱いのにこんなに客がいるのかなって
そして1年で戻ってきて
何か凄いなあ~ってそして小野の移籍前の最後の試合で観客が作ったマスに
やられました。
いつかレッズが強豪になれば
この大観衆見せつけられるなと
でも二度と2部でのレッズは見たくないあってはならない
こんばんはです。
そうなんですよ、旧ブログを発掘していて自分も驚いているくらいでして(笑)
それにしてもあの頃はJ2と言っても、未知の世界どころか、そのリーグ自体が実質出来上がって間もなかったこともあり、しかも降格一年生になるとは・・・一体どうなるのかと右往左往したのを覚えています。
そういえば最近ブンデス記事も書いてませんでした。そっちも書かないといけないですねぇ(笑)
せるためさん
こんばんはです。
ありがとうございます、なるべく記憶の薄くならない内に色々と書いて行きたいと思っております(笑)
伸二は降格後に数チームからオファーがあったらしくて、某評論家は「移籍した方が良い」なんて言うし、自分もその去就問題でレッズ残留が決まるまでは生きた心地がしなかったですねぇ。それだけに年明けに残留が決まった時は、本当にホッとしたのを覚えていますねぇ。
からくり士さん
こんばんはです。
あの時代、弱かったレッズが一度は少し強くなって、それでも色々トラブルもあって降格してしまってと、とにかく不安定なチームでしたねぇ。
それでもサポーターはずっと見放さずに、J2でありながらJ1以上の集客でチームを支え、そして一年で復帰出来ましたね。
もう二度と降格なんていう悲劇を起こさないために、レッズは色々学んで今に至っています。あの降格がレッズを強くした面はありますね。
でもこの試合があったから よりレッズを応援しなくてはと言う気持ちなり 翌年J2の試合アウェイ、ホーム全試合行ったのを思い出します
この悔しさを忘れずレッズには常勝軍団になっていってほしいです
ちなみにこの年のレッズのオフィシャルビデオに市原戦のシーンでビデオにドアップで映ったのも思い出しました (レディアの帽子かぶってます)
(*^_^*)
おはようございます。
静まりかえった浦和・・・駒場もあの時の静けさは一生忘れられないですねぇ。2万人以上が詰めている状況で一斉に静まりかえったスタジアムは、恐ろしいほど異様でした。
そうそう、裏天王山と称された市原戦も燃えましたね。福田のゴールが決まった瞬間、スタジアムが爆発しましたね。その試合に映ってるのって、すごいです(笑)
もうずいぶん前のことになるのですね。
この頃留学生として海の向こうにいましたが、ともだちに「そんな弱いチーム応援して何が楽しいの?」と聞かれ凹みました(苦笑)
海の向こうから見ると、ちっぽけな島国のちっぽけなリーグのさらにちっさい方に落ちた弱小チーム以外のなにものでもなかった。
それが今はアジアで戦えるほどになりましたね。大きな希望を感じます。レッズの成長は多くのサポーターやクラブに夢を与えたと思います。
次の記事も楽しみにしてます~
こんばんはです。
おおお、なんとその頃は海の向こうで留学とは!留学と聞くとなんだかリッチな響きに感じられて、つい、おおお、と驚いてしまうのです(笑)
でも極東の島国のチームでも、応援する気持ちはヨーロッパ級、いやそれを上回るのがレッズというチームとサポーターであると自負出来るクラブなんですね、レッズは。これからも多くの夢と希望を発信するクラブであると、そう信じていますよ、レッズを。
J開幕以来の試合で一番心に残る一戦ですね。
俺もゴール裏にいました、あの頃はラジオのニッポン放送でJリーグ中継が毎週あり、他会場の経過が気になるおれはラジオを時々聞いていました、そして後半終了時点で数分後の他チームの情報を確認でき涙が・・・・・
93年以来一緒に通っている当時中三の息子にも、その時は言えませんでした・・・
そして、福田の涙のVゴール、しかし明らかに喜んでいない回りのサポも異変に気が付き始めた、俺は息子と回りの数人のサポに、もうダメなんだと現実を告げた!
試合終了後の場内1周の時のDF池田学の毅然とした態度が印象的でした。
J優勝でもACL優勝でもなくこの試合のチケットはおれのお守りとなり、今日のガンバ戦も年間パスカードケースに入りその後の試合を見つめています。そろそろ25になった息子と4歳孫りおなをつれて埼スタに出かけます。
初めまして。
今みたいに携帯のネット画面をクリックすればすぐに情報が得られる時代ではなかっただけに、ラジオや電話に耳を傾けていた時代、今から思うとそれも懐かしくもありですね。
しかしこれを経験したレッズサポにとっては、優勝の試合以前に、一番忘れてはいけない試合ですね。”お守り”、これがこれからも大きな糧になってくれることを願っています。
でもあの屈辱があったからこそ、次のシーズンでJ1に返り咲いた時は泣きました。妻に頭を叩かれながら泣きましたね! 今となっては、ホントにホントにいい思い出になりつつあります。こんな思い出話、なかなか出来ないですよ。うえさんの新しい企画、また期待してます。
☆インフォメーション
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スタジアムではゴール裏住人であります。